覚醒のすすめ

誇りと自信を取りもどすために!

日露戦争

日露戦争をみてみる。

 

日露戦争の事実は以下の通りである。
・1904年(明治37年)〜 1905年(明治38年)に起こった日本とロシアとの戦争である。
・主戦場は、支那北東部、日本海であった。
・1905年(明治38年)にポーツマス条約の締結により講和し戦争を終結した。
・日本は、ロシア領の南樺太とロシアの租借地があった関東州(遼東半島先端部と東清鉄道南満州支線)を獲得した。


当時の背景は以下の通りである。


ロシアの立場
 ・国が高緯度地帯に位置するため、年間を通して凍結しない「不凍港」を獲得したかった。

  このため南下政策を推進した。

 ・南下ルートを、バルカン半島中央アジア、極東の3ルートとしていた。
 ・三国干渉により東アジアにおける第2の不凍港となる旅順租借地を獲得していた。
 ・極東ルートとして朝鮮半島支配下におきたかった。すなわち、旅順をベースとした勢力圏を確保して東アジアでの活発な貿易を行うための基盤を作りたかった。

 

日本の立場
 ・日清戦争後の三国干渉で、遼東半島の領有権を放棄させられた。最終的には、ロシアが旅順の租借権を獲得した。
 ・ロシアに朝鮮半島を支配されると、次は日本が支配される脅威を想定した。
 ・日本海制海権喪失よる産業的打撃を懸念した。


当時のロシアの南下政策は、弱い部分を突いて獲得する戦略であり非常に現実的である。
極東は清が衰退しており、朝鮮は政府が国内を掌握できておらず不安定であった。日本にとっては対岸の火事ではない。次は自分の番であると思うのは当然である。

 

当時の日本は、国力的に不利な状況は認識しており、極力戦争回避で動いていた。
この戦争は、止むに止まれず戦った自衛のための戦争なのである。

 

では、なぜ負けなかったのか?
私は、この戦争は勝ったとは思っていない。負けなかったというのが正しい表現だと思う。
負けなかった理由は以下の3つと考える。
(1)日英同盟
  ロシアの南下政策がイギリスの権益と衝突することから日英同盟を結んでいた。
  このため、イギリスの支援を受けた。
(2)外貨調達
  欧米各国で味方を作り、戦費を獲得した。単独で戦争したのではなく味方を作って戦った。
(3)革命運動への支援工作
  明石元二郎による革命運動への支援工作でロシアの内部崩壊を誘発した。
  すなわち、国家としての戦争継続が困難な情勢に追い込んだ。

 

どう見ても、武力の勝利なのではなく、総合的な政策の勝利である。
明治の人は偉かった!
この一言につきる。

 

戦争は外交手段の一つと言った人がいるが、正解だと思っている。
きれいごとだけでは、国が維持できないことは歴史を見れば分かる。
負ければ今頃植民地であり、虐げられた日々を送っていたのは明白。

 

命を捧げて戦ってくれた先人に感謝である。