覚醒のすすめ

誇りと自信を取りもどすために!

歴史を見るには当時の世界との関係を見ることが不可欠

 自虐史観は「大東亜戦争」以降から始まったものと思われる。しかし、歴史は「大東亜戦争」から始まったものではない。日本の場合は、2000年以上続いている世界最古の国である(ちなみに今年は皇紀2678年である)。有史と言われる時期から見ていく必要を感じた。

 

 まず、日本が過去に外国と大きな戦争をしたのは、以下と認識している。江華島事件ノモンハン事変は、規模はそれほど大きくはないが、対外国との戦争ということであげてみた。

 三韓征伐
 白村江の戦い
 元寇
 朝鮮征伐
 江華島事件
 日清戦争
 日露戦争
 第一次世界大戦
 満州事変
 ノモンハン事変
 日中戦争
 大東亜戦争

 

 「三韓征伐」、「白村江の戦い」については諸説ある。私は歴史学者でないので、「どのような背景」があり、「どのような利害の対立でこの戦争に至ったのか」については詳しく語る自信がない。何が正論なのかが判断できないからだ。
従って、事実のみを記載する。
三韓征伐以降、朝鮮半島新羅高句麗百済)は日本の支配下となった。
白村江の戦い以降、朝鮮半島新羅支配下となった。

 

 「元寇」については、防錆戦争であり、利害云々の話ではない。
「外国の侵略から自国を守った」が、事実である。

 

 比較的史実が明確になっているのは、豊臣秀吉時代の「朝鮮征伐(文禄・慶長の役)」である。

 私は、以前までは、豊臣秀吉の天下統一後の野望と認識していた。学校では、なぜ朝鮮に出兵したのか教えてくれなかった。また、メディアでは、国内を平定した秀吉が大きな野望を抱き、外国に進出したように言われていたので、これを信じてしまっていた(完全に思考停止していた)。

 しかし、これは誤りであると考える。理由は、当時の世界を見ればわかる。

 

私が認識する事実は以下の通りである。
・豊富秀吉は、朝鮮半島に出兵したが、支配下に置くことはできなかった。
・出兵理由は、支那(当時は「明」)を支配下に置くためである。
・明を支配下に置く理由は、スペインから国内を守るためである。

 

 防衛線を日本国としたのではなく、明にする戦略をとったと推測される。この考え方は、極めて合理的な戦略である。国内に攻め込まれて被害を出す前に、国外の防衛線で食い止めるのである。

 

 余談はさておき、なぜこれに至ったかである。

朝鮮征伐は、西暦1592年〜1598年の出来事である。当時はスペインの世界制覇が進んでいた時代であり、キリスト教の布教という名目で他国に侵入し、侵略した土地で殺戮・略奪を繰り返している。当時のキリスト教のいう「人々の幸せ」というのは、白人の幸せであり、白人以外は含まれていない。(今は違うと思いたいが…)

 

 豊富秀吉は、キリスト教の危険性を認識し、自国を守る必要を感じていたと思われる。

 当時、ポルトガル人は、日本人を奴隷として売買していた。豊富秀吉は、ポルトガル人と交渉して、奴隷貿易を停止するよう要求している。キリスト教を否定する立場となる。

 豊富秀吉は、明がスペインに侵略されれば、次は日本であることを予測し、その前に止めておきたかったものと考えられる。

 

 私の結論は、「朝鮮征伐は、他国侵略を目的としたものではなく、自衛のための先制手段」である。

 

 こんな形で、少しずつ歴史を見ていきたいと思う。大東亜戦争にたどり着くまでは、長い道のりになるかも…